ノーベル賞とハングル語 - 2008/10/08 へのコメント
<追記>
日本の大学院は、現在、二種類ある。制度上は、二年制大学院と五年制大学院だ。各修了者を「修士」「博士」という。但し、五年制大学院は、前期、後期に分れ、前期修了者は「修士」となる。上記のコメントは、当然、五年制大学院での話だ。二年制大学院とは、質、量とも根本的に異なる。研究者を目指す場合は、五年制大学院に進学するのが普通だ。二年制大学院は、社会人を含む大量の大学院生を受け入れる。藤沢にある大学なぞ、一学年の定員が150人だ。まるで学部並みの定員だ。さて、現状、研究者を目指す大学院生の状態はどうか。劣悪な環境というしかない。なにしろ大学院を修了しても、文科、理科とも、よほどでない限り職にありつけない。18歳で学部入学、落ちこぼし無く進んでも、28歳になる時に修了だ。それで、職にありつけない。企業は年齢、学歴で雇ってくれない。それゆえに、学歴、学位を誤魔化した履歴書を提出して、研究職以外の職にありつくという悲しい話もある。学術振興会研究員、非常勤の大学講師の口があれば、ついている方だ。だからといって、研究業績を上げない限り、研究者への道は遠のくばかり。学会発表は博士課程入学時から始まるのが普通だから、論文はせいぜい 3 本。よほど強力なコネ、あるいは、気の遠くなるほどの倍率の公募を勝ち抜くしかない。博士課程まで修了する人間の実力は、大体横一線。運で一生が左右されかねない。無事、研究機関、大学に就職できた。それからが「茨の道」だ。馬車馬のごとく、働き、論文、著作を物する。文科省を始め各種審査がある。海外での発表、研究生活もこなさなければならない。ホッとしたとたん定年だ。一人になると、「俺の一生はこれでよかったのか」と考える。「うん、好きなことが出来たから幸せだった」と一人で納得する。恩師の足元にも及ばなかった、と悔やむ。これが平均的な研究者像だ。韓国伝統行事で意外と多いのが「綱引き」です。正月行事の中で行うことが多いですね。













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