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2008年10月4日土曜日

非道・人間サファリ:韓国人それを楽しむ

shiratyさんがおっしゃるように、この観光ツアーは「“人でなし”な行為」です。当然のことながら、中国人、韓国人は、「えさ」を投げ与える相手を自分たちと同じ「人間」と思っていないのでしょう。このツアーを許している金正日を中心とする支配側も、彼らを、自分たちと同じ「人間」と思っているわけがありません。そうでなければあのような支配体制が出来ようもありません。それは強制収容所に入った人間への扱いも同様です。「小公子」という小説があります。伯爵の息子が、貧民窟に行き、馬車から物を投げ与える場面があります。それを人びとが「伯爵のご子息が、我々にお恵み下さった。」と、大喜びして拾います。日本では、ボランティアの始まりを象徴する話として有名です。人間サファリと小公子、どこが違いますか?近代的ヒューマニズムの論理から見ると、人間サファリは、人でなし行為です。でも、そういう倫理が通じないのが、朝鮮半島、中国であり、それを普通、民度というのかもしれません。簡単にいうなら、我々の論理で連中に相対するとバカをみるのは、我々だということです。

非道・人間サファリ:韓国人それを楽しむ - 2008/10/04 へのコメント

<追記>
欧米でいうところのボランティアについて、通常、日本でいわれている「小公子」と違う起源譚がある。クリスマス期間になると、町の人たちが貧しい人たちに食べ物を与えるという風習が欧州にあった。それは絵画としても残っている。この風習を基にして「小公子」の中の逸話が書かれたというのが事実ではなかろうか。幕末以来、日本は欧米の知識、技術を旺盛に摂取した。しかし、それら知識、技術の背景にある「文化」にはあまり着目していない。特に、民衆レベルの文化に疎い。ゆえに、ボランティアの起源譚を「小公子」に持っていったものと思われる。日本でも同様な風習がある。ある特定な日、日本では節日というが、正月やお盆などの年中行事のとき、何者かが子どもや大人に、「物品」を渡す習俗がある(お年玉などが代表的)。さて、「施し」と「贈物」。表層的に、行為としてみれば、「物品」の授受であるから同様にみえる。双方が根本的に違うのは、「施し」は一方的であり、「贈物」は双方向だということだ。「gift and counter gift 」(贈物とお返し)は、世界的な風習である。「施し」は「恵み」を伴う。「贈物」はお互い様である。日本では、政府の行う PKO 、海外援助、福祉政策から、個人のボランティア活動まで、この二種の概念が、あいまいなままに使われている場合が多い。今回の観光ツアーの場合は、「施し」に類似しているが、例に挙げた二種以外の行為と思われる。動物園のサルに物を投げ与える行為に近いだろう。生物的には同様の「人間」を、異種の「人間」のように見る感性。これは太古から人間が持っていた価値観だ。身分制度を考えればよい。日本のように、他国に比べて、身分制度があいまいな文化に浸るとなかなか理解しがたいはずだ。北朝鮮は、「成分」という細分化された身分制度で成り立っている国だ。韓国初代大統領は、国民の選挙で選ばれたにもかかわらず、「貴いお方」と呼称された。同一国民であろうとも、きちんと区別する。区分、身分の中には、当然、中には人間扱いしなくてよい「人間」もいる。
미녀 第二弾。こんなのばかりだと、すぐ飽きが来るから、第三弾はない(と、思う)。

2 件のコメント:

shiraty5027 さんのコメント...

やはり、今回の一件は
根強い身分制度が絡んでいるのですね。
李氏朝鮮末期から本貫を売買してきた
民族らしく、常に自分たちの下に
何者か身分の低いものを据え
優越感に浸っているのですね。
その極めがこのようなツアーなのでしょう。
恥ずかしい民族ですね。

MUJOB さんのコメント...

そう思われます。気になったのは、この記事がハングル版だけに載っていることです。国際版(日本語、英語、中国語)に掲載されていないことです。朝鮮日報編集部は、このような観光ツアーが、国際的にみて「恥ずかしい」行為だと思っているのではないかと推測します。しかし、よくよく考えると、このツアー、中国、北朝鮮、韓国が絡んでいます。この三国の「恥」とでも考えているかもしれません。johnkim100530氏のおっしゃるように、意識としては、朝鮮半島はずっと、中国の属国かもしれませんね。中国に対する北朝鮮はいうに及ばず、韓国の態度は、あまりにも卑屈だからです。1000年間の属国とは、こういうことなんですね。大陸から離れた「島国」の私たちには、理解が及びませんね。





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