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2008年11月5日水曜日

だから、何だ?

中央日報 鞠智城跡から百済仏像を発掘/日本・熊本

また怪しげなことをいう。「 7 世紀末に築城された鞠智城は古代百済の技術で建てられたことが伝えられている。 」。まじめにいうと、続日本紀文武天皇二年五月二十五日条( 698 年)に「繕治」とあり、「築城年は記載がなく現在も確定されていない。」ということだ。歴史を知らない者が歴史を語るな。よしんば、歴史を知っていれば、いまの韓国史の記述は赤面するだろう。「古代百済」とは何だ? 百済に古代、中世、近代なんかというような時代区分があるのか。「築城された鞠智城」と記述があるが、7 世紀の「城」が如何様のものか、ご存知か。知らないから「築城」なんて、知ったかぶりの言葉が使える。「百済の技術で建てられたことが伝えられている。」というが、それさえ確定されていない「古代山城」だ。「教育委員会側は菩薩像の顔立ちなどの特徴から、7 世紀後半に百済で作られたのはほぼ確実だと話している。」どこの「教育委員会」がわからないが、連中の知見がいかに貧弱かもご存じないようだ。よく考えてみろ。朝鮮半島の百済は、660年に滅亡した。古代の仏像の類は、官営工房で製作した。滅亡のドサクサに、あるいは百済滅亡後に、私的に仏像を作って、亡命百済人が、それを携えて、日本に来たとでもいうのか。660年は 7 世紀中葉と表現し、7 世紀後半といわない。発掘した遺構が、自分たちに理解できないと、「祭祀遺跡」、どっかの遺跡で出た物が、類似していたら、すぐに「伝播」と言いくるめるのが、連中だ。日本の考古学は、土器学、遺物学といって、大方間違いがない。7 世紀は、日本では、すでに史書が存在している。考古学では「古墳時代」、歴史学では「奈良時代」と区分する時期だ。それを「古墳時代」が「奈良時代」に先行すると勘違いしている日本人も多い。日本の初等中等教育での、歴史関連教科書が、考古学と歴史学を妙に混在させているから、勘違いする。考古学が長年にわたり現文部科学省に取り入った成果だ。韓国人は、つまらん期待をしないことだ。

<参照>
鞠智城

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