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2008年10月12日日曜日

一度、道を誤ると、元に戻るのは至難のわざ

朝鮮日報 近現代史教科書、「修正」だけでは不十分

このコラムを執筆したのは朝鮮日報論説委員李先敏だ。中央日報社説の教科書問題論説より数段ましな論調だ( 参照 )。中央日報の場合は、現政権が好むような論調に終始している。言論統制国韓国では、マスメディアといえども、時の政権に迎合する。それが処世なのだろう。李先敏は、奥歯に物が挟まったような物言いだが、コラム結論部分で、「新しい歴史認識を取り入れなければならない」とし、「われわれが歩んだ1世紀にわたり歩んできた近代国家建設の道を世界史的観点でとらえる「開放的近代化史観」だ。こうした作業を従来の教科書筆者が成し遂げられないならば、新しい史観を抱いた新しい筆者が新しい教科書をつくる以外にない。」という。「開放的近代化史観」がどのようなものかは不明だが、「世界史的観点」で韓国史をとらえ直し、それを基に歴史教科書を編纂執筆することを提案している。このコラムは、韓国メディアにありがちな、高見の見物兼批判だけの記事ではない。現行教科書を批判しつつも、対案を出す態度に好感が持てる。日本のメディアも李先敏の態度を見習えば良いだろう。李先敏は、「新しい史観を抱いた新しい筆者が新しい教科書をつくる以外にない。」という。これが一番、難物だ。李先敏が「開放的近代化史観」というのだから、韓国歴史学会に、このような史観で論陣をはる歴史学徒が存在するのだろう。この史観は、従来からの韓国国粋主義史観を否定しなければ出てこないものだ。「開放的近代化史観」を奉ずる者は、韓国内で歴史学研鑽をした研究者の類でないだろう。海外で歴史学を研鑽した人間と想像できる。私の歴史学の恩師、北山茂夫は、彼の教え子山尾幸久がアジア史的観点から大化改新を論じた時、あまりに観点が斬新過ぎて、足が震えたと、話された。現在でこそ、大化改新をアジア史的観点から論ずるのは常識化している。従来すでに定説化している歴史事実を、新規な観点で、最初に論じる人間には、他の歴史研究者を自認する輩からどれだけの圧力をかけられるか想像を絶する。それでも、若き歴史学徒山尾幸久は論陣をはった。「開放的近代化史観」を奉じる歴史学徒も同じことだ。特に、自由な議論が成立し難い韓国において、「開放的近代化史観」を奉じる歴史学徒が、どれだけ論陣をはり、初等中等教育用歴史教科書編纂執筆にたどりつけるか。政治などの外的要因も大きく作用するだろう。まずは、近現代韓国史だけではなく、韓国史全体の「開放的近代化史観」による教科書編纂執筆に期待する。この成果は、少なくとも 50 年後の韓国民に表出するだろう。しかし、現在の韓国史を学ぶより意義がある。
韓服のファンションショウだろう。いつも不思議に思うことがある。韓服は基本的に無地だ。和服のように柄があるわけでない。韓服の色と装飾品で、差異をつけるのだろうか。色違いの韓服だけで、わざわざファッションショウが開けるものか。

<参照>
灯台下暗し

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