明治以降、昭和初期までの日本人を写した写真をご覧になると、すぐ気づくことがある。顔つき、姿勢が現在と違う。第一に笑顔をたたえた写真が非常に少ない。みんな、キリリとした顔だ。怒っているような顔すらある。姿勢は、きちんと背筋が伸びている。タイムマシーンがあれば、元禄時代なら、まずもって、現在の日本語が通じない。現在の日本語がなんとか通じるのは化政以降だろう。いつの頃から日本人は「猫背」になってしまったのだろう。それは海外に行くと、すぐわかる。東京五輪、大阪万博ですら昔話だ(笑)。
<弁解コメント>
写真について弁解をひとつ(笑)
「明治以降、昭和初期までの・・・」と記したのが誤解を招いたようです。失礼しました。私は、江戸末期や明治初期の写真撮られ技術(?)について、いったわけではありません。一般的に、笑みをたたえた写真撮られ技術は、日本では、せいぜい戦後もかなり経った後の風潮です。韓国では、20年に満たない風潮でしょう。各位のご両親、あるいはご祖父母の写真を引っ張り出してご覧ください。あるいは、著者の写真を掲載している書物をご覧ください。納得がいくかと存じます。結婚式の写真でも可(笑)。
明治時代には拳銃所持が許されていた! - 2008/11/29 へのコメント
<参照>
我われにとって、直近の歴史が明治大正期だ。その時代のことを、我われはどの程度知っているのか。1868年が明治元年、1912年が大正元年、1926年が昭和元年、1989年が平成元年だ。日本の歴史全体からみると、一割にも満たない、たったの140年間だ。その日暮らしの我われにとって、時間を消費することで精一杯で、過去をゆっくり振り返る余裕がない。加速度を加えて変化していくのが時代の法則とはいえ、あまりにも余裕がなさ過ぎる。そんなに急いで、どこに行こうとしているのか。人間、年をとらないとわからないことがある。それは「死」の問題だ。幸いに、日本は、この60年間、戦争を経験していない。欧州の大部分の地域もそうだ。大部分が、病死、老衰死だろう。ゆえに、平均寿命も延びている。この平均寿命というヤツが曲者だ。「平均」とは現実にないものだ。必ず、平均の上か下だ。しかし、人は、その現実にない平均を目安にする。そして、指折り数える。そこで、フーッとため息をつく。ただ、それだけだ。時たま、過去を振り返り、感慨にふける。上記コメントの元記事を掲載した朝日新聞の記者子がそうなんだろう。この記者、定年間近の人に違いない。あるいは、朝日新聞そのものが、老域に達し、そろそろ身辺整理を始めたのかもしれない。朝日新聞が老衰して、衰弱死する時、私は、「お疲れ様」というだろう。ところで、どんな墓標がお望みかな。え? 墓標など、因習に満ちたものはいらない? 了解、その辺で、野垂れ死んで、犬か魚にでも食われていろ(笑)。
お気づきの方がおられるかもしれない。Blog 向かって右上のスライドショー、その数が、徐々に増えている(笑)。
2008年11月29日土曜日
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2 件のコメント:
やはり死期を感じると、昔のことを色々思い出すものなのですね。ボクも最近、昔のことばかりが思い出されます。
いよいよ近くなっているのかも知れません。
その節はよろしくお願いいたします。
最近、「死生学」という用語を使った研究が盛んです。この研究かなり重要な気がしています。
ウィキペディア死生学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E7%94%9F%E5%AD%A6
日本での研究拠点は、以下で行なっています。偶然、拠点リーダーは、大学院時代から、仲の良い後輩です。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/shiseigaku/
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