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2008年11月1日土曜日

「型にはめる」教育の是非

本 Blog 「大学の生き残りをかけて」に、shiratyさんから示唆的なコメントがついた。コメントに対するお答えをコメント欄でするには限度がある。新たにPOST(投稿)することにする。
日本の学校教育に関して、数字として把握する場合、下記の参照の項にある、「文部科学省学校基本調査」が基本となろう。資料は、平成14年度から平成20年度(速報)までが掲載されている。参照願いたい。その資料を読んで、大都市圏に住む人びとは、大学進学率が意外と低いと感じるだろうし、そうでない人びとは、逆の感想を得るだろう事は、想像できる。善し悪しは別にして、日本の学校教育及び関連業界の現状は、大部分の人びとにとって最終学校になる大学入学を目指して動いているといって過言でなかろう。迎える大学側は、入り口としては、大都市圏以外に所在する大学を中心に定員充足率の低下が見られる一方、大都市圏在の一部大学への集中受験という、いびつな現象が起こっている。出口に関しては、文部科学省の資料を参照願いたいが、この度の金融危機を経て、再来年度の就職等がどうなるかというところだ。来年度卒業生に関しては、昨年 12 月以降、本年 6 月、8 月をピークに、順調であり、最終来年 3 月までに、ほぼ 100% が決定する見通しだ。日本での就職希望の外国人留学生もほぼ同様と見てよい。
さて、上記のことを踏まえて、shiratyさんからの示唆的なコメントに対する、私の考えの一端を記そう。私の年代の大学進学率は全国で約12%だった。結果、大部分が、中学、高校を卒業した後、就職だった。ゆえに、高校進学の際、普通、商業、工業、農業等々、各人の将来設計に合う高校を選択し、進学した。現行の教育体系でも十分に機能が果せた。ところが、1970年前後から、高度経済成長、産業構造の変化、情報化社会への対応、という従来からの社会構造の劇的な変化が原因だと考えるが、社会(企業)が高度な知識、技術を各人に要求し始める。その頃から、現行の教育体系が齟齬をきたしてきたと推測できる。ゆえに、shiratyさんがおっしゃるように、将来像が明確に描けない子どもたち、親たちが数多く出たと考える。そうであれば、明確な決定を先送りできる学校、あるいは高度な知識、技術が習得できる学校、すなわち大学まで進学すれば、何とかなるだろうと考えたと思われる。同時に、国民全体の経済的底上げも連動して、急激に大学進学希望者は増加した。それは、1989年24.7% 2007年47.2%。近年 19 年で倍増という数字に表わされている。大学進学希望者が高校卒業者全体の1/4から1/2への移行は、大学は大衆化したと言い換えても問題はない。すなわち、大学は量により質を変化させたといえよう。大学の大衆化は、国民の知識、技術の向上に資することになり、質から見ると歓迎することだ。しかし、量の問題がある。問題は、ここにある。明確な決定を先送りして、大学に進学する場合、高校卒業まで経験したことのない専門教育の学部をどのように選択するか、さしたる目的もないのに、入学後、どのように勉学に励むか、ライセンスは欲しいが、どのようなライセンスが必要か、等々、問題は山積みになる。問題を先送りした分、余計問題は深刻になる。確たる産業構造が確立していた時代は、ある程度、自己の将来像も描きやすかったであろう。現状、流動的な時代は、それがかなり難しいことになっている。
戦前の日本の学校教育体系において、小学校義務教育後の進学は、中学、師範、商業、工業、農業の各学校に分岐し、その上位に、高等学校、高等師範、高等商業等々の高等教育機関が存在した。この教育体系は、「型にはめる」教育の側面を持っている。児童生徒は、「型にはめる」教育によって、受動的であれ、自己の将来像が描きやすかった。この「型にはめる」教育は、戦後日本では、建前廃止している。そうであれば、義務教育の期間に、児童生徒たちに自己の将来像を描かせる教育を徹底的に醸成しない限り、親、子ともに、各人が、自発的に、積極的に将来像を描かないと身動き出来ないということになる。もちろん、現在の日本においては、「自主性」を大切にし、重んじる。当然のことだ。これ以上記しても、トートロジーに陥る可能性が大だ。若干の結論を記しておこう。現状の学校教育体系では、現在、惹起している問題は、何ら解決をみないことは明白だ。「型にはめる」教育を再考、創造することも一案ではないかということだ。もちろん、硬化した体系の導入は不要だ。柔軟性のある「型にはめる」教育もあるはずだ。自縄自縛するような教育体系を導入する愚は犯したくないのは、誰しも思うことだ。「教育は国家百年の大計」という。すぐ傍に、60年かけて失敗した好例がある。それを参考にすれば、大過の無い教育体系が創造できる可能性があると楽観する。
いやはや驚いた。Googleで「大学生 日本」を検索した。なんと外国人留学生、海外の日本人学生等が続出し、私が想像した、国内キャンパス内の学生の写真が見当たらなかった。ということで、いつもの韓服姿のお嬢さんを掲載します。上の写真、彼女の簪、いいなぁ

<参照>
大学の生き残りをかけて
文部科学省 学校基本調査(指定統計第13号)
進学率

4 件のコメント:

shiraty5027 さんのコメント...

 先生 ありがとうございました。
 小生のコメントが、先生に余計な労力をおかけしたような気がして、大変申し訳なく思っています。これじゃ講義を無償でやっていただいたようなものですものね。でも授業料は払いませんよ(笑)。
 僕は、やはり先生がおっしゃるように、昔のような教育体系に戻すことは無理だと思います。多岐にわたる産業の分化や情報化が進み、価値そのものが多様化し、昔のような単純明快な社会構造ではなくなってきているというのが理由です。そんな中、未曾有(?)の不況という状況があって、可能性の媒体は広くあれども、人が余っているという現実があります。需要と供給がバランスを崩している。やはり時代は混迷の時代に入っているのだと思います。
 ある意味で“実学主義”を志向し実践しなければならないはずの教育界が、実はいつも現実から遊離した中で形成されそれに安住してきた。本来、時代を先取りしなければならないはずの教育(体系)は、いつも後手に回ってきているように思うのです。やる気が無いというか‥‥。
 そう考えると、僕はやはり楽観などしておられない気がするのです。教育システムは、未来を見据え、その中で形成・運用されなければならないものだと思うのですが‥‥。

shiraty5027 さんのコメント...

 僕が教員をやっていたころ、教務1、雑務9と言われていました。教員になるまでは教科指導が中心だと思っていたのですが、現実はかなり違っていました。
 先生のお話を聞いて、大学も形は違えどもそうなんだなあと思いました。本来、教授方は研究者ですものね。学生とともに学問を追及する。ところが現実は、生活指導であったり、中高の復習授業であったりと‥‥。
 やはり、猫も杓子も大学進学をしている状況が、韓国と同じで今日変な状況を生んでいるのではないでしょうか。
 やはり大学は最高学府であるという、権威をもってもらいたいと思いますね。猫も杓子も来るところじゃないと‥‥。
 でも現実は‥‥。

MUJOB さんのコメント...

もちろん、私は、戦前の教育体系に戻せというような無茶な要求はしません。今後の教育体系を考えるにあたり参考になるという程度のことです。現在のように、価値観、産業構造、社会構造等が流動化している時代において、どのような教育体系がベターなものか。それに対して、あまり回答が示されていないのが現実のようです。
だとしても、現場にいる者として、手をこまねいてばかりいられません。大学の教官、教員は、採用基準からして、研究者とし採用されます。ところが現実は、本命である研究従事を棚に上げて、どうみても、「教育」に従事しているというのが現状です。そして、その比重が年毎に肥大化しているのが現状です。マックス・ウェーバーは「よき研究者は、よき教育者」という意味のことをいっていますが、そういう古き良き時代の大学は去りました。現在、大学で高校や中学の復習をしたり、学生の礼儀や人間関係に腐心しなければならないという問題が存在します。そして大きな問題になっています。私自身、「教育」の専門家でもなければ、「教育」のための訓練も受けていません。教育学部、教職課程の教官、教官を除けば、大部分の教官、教員がそうだと思います。そういう立場から、思いつくことを書きました。10年前に大学を退職した先輩諸氏がうらやましいです(笑)。

MUJOB さんのコメント...

あらら、コメントの脱字を修正している間に、コメントがついた(笑)。失礼。
そうですね。韓国の場合、その進学率を考えると、日本より深刻だと思います。大学退学者も日本の比ではないようです。先日、韓国メディアで読みましたが、ソウル大学退学者のうち、75%が理科学生ということでした。なおかつ、ソウル大学は米国の大学への予備校化とも化しているといいます。これは大学側、退学した学生側にとって深刻です。それゆえに、大学の在り方の参考になるのではないかと思っています。
高校の復習、人間関係、礼儀は、天下(?)の○大でも実施していることです。以下同・・・・。
なんで、こんなことになってしまったのでしょうね。ほんと、泣くに泣かれない状態です。ビエーーーン(大泣)。





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