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2008年9月19日金曜日

朝日はやっぱり支那の走狗

「写真が語る戦争」?写真に口でもあるのか。写真は語らない。その写真を元に、人が語るのだ。A と B がいる。A が先に殴った。B が殴り返した。その時、シャッターが切られた。残るのは、B が A を殴っている写真だけだ。A はわたしは何もしていないのに、B が暴力を振るう粗暴なヤツだという。「写真が語る」などという擬人法を使い、持論を展開するのは悪辣な連中しか使わない。なおかつ、写真はいくらでも「演出」出来る。これをプロパガンダという。こういう手法を使い、客観性を演出するメディアは唾棄する存在だ。朝日は、こういう戦争の記事を掲載するときは、当時、朝日が大東亜戦争翼賛だったことを明記するのがメディアとして最低の礼儀だ。自分のことを棚にあげて、他を非難するのは、人倫にもとる行為だからだ。礼儀知らずも甚だしい。信用するに値しない。

朝日はやっぱり支那の走狗 - 2008/09/18 へのコメント

<追記>
架空の話であっても、以下のような事はいくらでもある。「春香」のように、立派な祠を建立する場合がある。そして、人が見物に訪れる。春香は実在して、パンソリで伝えられたといえば、知識の無い人は信用するだろう。この現象は珍しいものではない。絵一枚、写真一枚が、とてつもない力を発揮する場合がある。絵や写真は、ただの存在だ。それに意味づけをするのは人間だ。ややもすれば、それを忘れる場合が、往々にしてある。取り扱いには慎重を期さなければならない。上記、朝日新聞のような「報道の仕方」は「タメ」にする報道という。ある目的を持ち、それをセンセーショナルに報道する。ナチ、ソ連共産党、中国共産党、朝鮮労働党の得意技だ。朝日新聞も戦前、戦時中、現在も得意技のひとつだ。この類の記事を書く輩には、でたらめ、捏造、虚言という言葉は無い。報道陣としては、下劣で、最低の行為だ。公共のメディアとしての意識と枠組みを外している。記事の撤回と世間を騒がせたことへの謝罪を出して当然だ。
全羅北道南原市、義妓祠に掛けられている絵画。「春香」のようである。春香は、パンソリの創作「春香歌」の登場人物である。絵画と祠堂で、実在したかのように扱われている

<参考>
사진으로 보는 진주성 - 写真で見る晋州城 - 訳
春香伝
全羅北道南原市

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